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四国八十八ヶ所「お遍路」のすすめ、と生きる意味 旅行


他の旅行や観光とは違う、 お遍路で感じた神聖な気持ち

 
 静かな山寺で邪魔にならないように正面を避けて、小さな声でお経を唱えておられるお遍路さんの後ろ姿を見ると、ただの観光では無い事に気付きます。
 不治の病の親類の為、大切な人を失った喪失感を埋めるため、人生の意味を求めるため、人はさまざまな思いでお遍路の旅に出るはずです。

 お遍路は知らない土地へ行く旅の楽しみに加え、そこには哲学的、思想的なものが在りました。
 私は、JTの美しいCM 「日本のひととき」を連想しました。(YouTubeで見て下さい。)
 
 仏教の長い歴史に触れ、お経に意味があることを知り、現在から過去の多くのお遍路さんの足跡を辿る時、先人の方々と溶け合うような、ここで倒れても人生に悔い無しと思える(甘美な)瞬間があるように思います。
 
 また、先を歩く妻の後ろ姿を見ながら、ふと(今回の)この人生この女性と過ごしたが、悪くない人生だったのかと言う考えが浮かびました。
 自問しながら瞬間頭をよぎった、(今回の)と言う感覚は何だったのか。未だに分からない、不思議な感覚でした。
 人生とは、生命とは、時間とは、宇宙とは、死とは、こうした事を考えさせる何かがお遍路にはあると思います。
 

般若心経の深淵なる意味


 確かなものと信じていた「現実」すら、幻の様なもの。五蘊皆空、色即是空、空即是色。
 人生も人間の脳が見る幻想のようなものというのです。
 
 どういう事かというと、最高に客観的な見方をするとこの時空には原子があるだけです。
 人間も原子でできた変な形の柔らかい固体に過ぎません。
 それなのに、その原子が自分というものを感じ、原子を見て喜怒哀楽を感じたりしているのです。
 
 私が見ている、感じているものは何なのか。そこには結局原子があるだけなのに、感じる意味や感情は何なのか。
 
 これは、たまたま遺伝子を持った生命と言うものが生まれ自分で動き回って、脳が発達したので幻想を見ているだけだと言うのです。
 対象物に意味は無く、自分の脳が意味を作っているだけだと言うのです。
 
 天動説に対する地動説の様な、意識の転換でしょう。
 
 こうした科学的客観的な見方を示唆していると思います。
 こんな発想がしかも、遥か昔に言われていたのです。
 
 子供の頃からお葬式で幾度と無く聞いていた、退屈で訳の分からないお経に、実は学問や文学とは別種の、それ以上の深いものがあったとは驚きではないでしょうか。

 そういえば死や葬式には、確固たる(と信じている)現実が揺らぐ様な、何か時空が溶けるような、瞬間何かの「答え」が見えるような、異質な感覚があった様な気がするのは私だけでしょうか。

般若心経から連想した、(原子と質量保存の法則による) 死生感

 
 山道を歩きながら考えます。
 生きるとは何なのか。
 死んだらどうなるのか。
 誰か言っていた、死とは生まれる前に帰る事・・・。
 と言うことは。
 科学的に言ったら、死とは原子に還る事か(!)
 そして、その原子からまた生命が作られる。
 それでも地球の重さは変わらない。
 ひとり死んでも、全人類が滅んでも地球の重さは変わらない。
 原子量は変わらない。
 これは質量保存の法則では無いか(!)
 私もその原子の少し集まったものに過ぎない…
 
 (科学や原子や質量保存の法則も無い遥か昔、修行中にこれを感じ取り、「空」と表現したのでは無いでしょうか。)
 
 
 五蘊皆空、人間が感じる事はすべて空である。
 
 見える物も聞こえる物も触る物も味も匂いも「空」、脳がそう感じるだけ。
 悩みも感動も恐怖も虚栄も悲しみも科学も哲学も、原子の移動に過ぎない。(?)
 私を形作る原子は、過去の沢山の生命だった原子も含まれているのでしょう。
 そして私が死ねば原子に還り、地球や他の生命の一部となるのでしょう。
 そう考えると、死後も「無」ではないと言う事でしょうか。
 死後の世界とはここと言ってよいのでしょうか。

 人生や現実と信じている事柄も、人と言う生命体が見る夢や幻に過ぎないのでしょうか。
 
 
 物事は見方によるというのも、般若心経の教え。
 
 答は歩き考える中にあるのでしょう。

 お遍路はこんな事を教えてくれました。
 

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