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人生を3倍楽しむ方法 ー なぜ日本を出ないのか 旅行

人生は、何かを成し遂げようとするにはあまりにも短い。そして、人生を楽しむためには日本はあまりにも狭い。
一度きりの短い人生を充実させて楽しもうすれば、人間を幸福から遠ざける要素に満ちた日本というシステムから一旦外へ出ることが不可欠だ。渦潮の中に身を任せ、もがいている藻屑のような人生を好むなら、また別だが。

  一
日本人は長い歴史の中で、生真面目で面白みのないことがヒトの道だと思い込んできた。それは、狭い島国の中で生き抜いていくための止むを得ない知恵であったのかもしれない。日本の外に出ることなど思いもよらなかった時代が続いた結果、互いに同質を求める「言わずもがな」の「世間」を創り出してきた。文字通り、空間的にも心理的にも狭く窮屈な日本社会が形成されてきたのである。

昨今のはやり言葉「空気を読め」というのも、この一連の閉塞社会の生み出した悪しき知恵なのかもしれない。その場の空気を読んだ言動をするのは、ちっとも変なことではないが、昨今の「空気を読め」の中身は、「空気に従え」であるのは誰もが気づいているのではないだろうか。西洋の自我、主体性という得体の知れない概念に初めて対峙し、もがき苦しんだ鷗外や漱石の先達の奮闘努力にもかかわらず、今日の日本社会はいまだに人間を真に幸福にするシステムを開発できているとは言えない。

さて、この「ヒトを幸福に組み込まないシステム」に我々の短い人生をいつまで委ねているか、と自問すれば、答えは自ずから出るはずである。

  二
日本のバブル絶頂期に、私は日本を出た。その頃日本社会はかつてない好景気に文字通り浮かれていた。
普通の感覚なら、あの浮かれ加減は異常であり、気味が悪いことに気付くはずである。だが、あの時代、日本人は自分の乗っているエレベーターが何階で止まるのか、いつ降りなければならないのか、考える余裕もないほど浮かれていた。

自分の給料が信じられないほど上がっていき、上べだけ面白可笑しい「カネが主役の日々」が続く中、ふとある瞬間、これは何か違うな、ちょっと世の中おかしくなっているな、と心をよぎることはあっても、次の朝にはまた、そのバブルの泡の中で浮かれている、というのが実際のところだったのではないだろうか。いや、そんな気持ちの悪さに気付かないふりをしていただけかもしれない。バブルの絶頂期にその泡の中を泳いでいた人々は「バブル」という言葉さえも思いつかなかっただろうから。

 
ともかく、直観的に「この日本を出よう」と思いたった私は、はやる気持ちを押さえてできる限りの準備を整え、翌年の三月某日の朝、まだ肌寒い北国の街を、スペインのマドリードへ向けて飛び立った。

  三
「人生は楽しむためにある」ことを、私はスペイン人から教わった。
日本人にとってたまの休暇は、また次の仕事に備えてフッと息をつくだけの文字通り休息に過ぎないが、スペイン人を初めとするヨーロッパ人にとって、休暇とは長期休暇を意味し、一か月から三か月の間、国外や避暑地などで、全く仕事から離れて家族単位で徹底的に楽しむ。そのために一年間働くのだから。

つまり、日本人は働くために息抜きだけのほんの休息をとるのだが、スペイン人・ヨーロッパ人は長期休暇をいかに充実した楽しいものにするか、それを楽しみに残りの日々を働く励みとしているのである。労働と休暇の発想が全く逆なのだ。
スペイン人・ヨーロッパ人は長い休暇が終わった途端、もう次の休暇の計画を立てる。楽しい休暇、つまり楽しい人生を過ごすため必要な現実的な経済活動として、仕事を年間のスケジュール表に配置しているだけである。

働き蜂の人生だけが人間の道のように思わされてきた極東の小さな島国からやって来た日本人にとって、目から鱗、とはこのことであった。

  四
日本人は礼儀正しい、と言われている。
たしかに、駅のホームでは白線の内側に測ったようにきちんと列をつくって電車を待つし、電車の中では周りの人に迷惑にならないように大声で話したりはしない。ほかの乗客をジロジロ見ては失礼なので、たいていは下を向いて眠ったふりをしているか、ケータイをいじっている。見知らぬ他人と関わらないことが徹底されている、とも言える。

ところが、スペイン初めヨーロッパの電車に乗ると、それぞれのグループが思い思いの話題で盛り上がっているし、それに負けじと車内に乗り込んでくる物売りの人たちが、入れ替わり立ち代わり、大声で商品の説明をする。中には、物乞いやパフォーマンスの人たちもいる。その中で、自分はエイズを患っていて皆さんの施しをお願いする、と淡々とその身上を説明する人を見たのも衝撃的だったが、それに嫌な顔をすることもなく聞き入り、いくらかのお金を差し出す人たちを目の当たりにしたときは、自分を培ってきた常識の底の浅さに愕然としたのを覚えている。

日本人は自分の利害の関わり合う範囲である「世間」の中では、なるほど礼儀正しいし、人情も厚い。しかし、いったん自分の利害と関わりがないと思った範囲では、つまり、見知らぬ他人との接触場面では、豹変して礼儀を忘れ、硬く心を閉ざしてしまう場面に、海外では何度も遭遇した。日本人のこうした海外での極端な人見知りや小心さは、残念ながら、狭い島国で長い間閉ざされてきた地理的・歴史的要因を思わざるを得ない。

実は、この日本人の「小心さ」こそ、日本人のさまざまな可能性を阻んでいるのではないだろうか。

  五
日本人は自分の存在を消すことに長けている。ヨーロッパの人々が長い歴史の中で発見し培ってきた自我、主体性を、日本人は今日まで本気で関心をもって育もうとしたことはなかった。いちおう「主体性」という日本語は作ったが、それは日本人にとって理解の外にあった、としか思えない。

自分が何者であるか、という問いは、そもそも自分の核がなければ問う発想が生まれない。だから、日本にはIdentity(アイデンティティ)の概念が定着するわけがない。自己同一性とかいう訳語を当てているようだが、一般の日本人がこの言葉を理解しているとは思えない。

スペインに住みついて初めて私はこの言葉(スペイン語ではIdentidadイデンティダー)と向き合い、格闘しなければならなかった。日本を出てからは、「お前は何者だ」と問われる毎日だと言って過言でなかったからだ。

  六

(中世のヨーロッパへ誘うバルセロナの小径)

マドリードを拠点とした生活を一年ほどしてから、カタルーニャ州の首都バルセロナに移住した。マドリードは好きな街だが、そのライバル都市であるバルセロナは魅惑的な国際都市だった。ここでは、お前は何者なのかと問う「アイデンティティ」は、一層複雑な顔を見せた。

カタルーニャ州は北部のバスク地方とともに、スペインからの独立を掲げてきた地である。カタルーニャ語(catalán)という独自の言語を初め、強烈な独自文化を育んできた歴史がある。ここに住む人々は、お前は何者か、という問いに、語気を強めて誇らしげに言う、「我々はスペイン人ではない、カタルーニャ人だ」と。

彼らはフランコ独裁時代に弾圧され使用を禁止されていたカタルーニャ語を地下で脈々と護り続け、今日ではテレビ、新聞、映画、書籍とあらゆる生活場面で、この言語を見事に復活、いや寧ろ拡大させている。その独自の言語・文化への意志の強さは、驚嘆するしかない。

  七
スペインではカスティージャ語(これがスペイン語)、カタルーニャ語、ガルシア語、バスク語、バレンシア語などの公用語が認められている。スペイン人の独自の言語(方言ではない)へのこだわりは日本人の想像を遥かに超える。日本語のように消滅する気配さえ感じられない言語を与えられている我々日本人には、彼らの言語への執着が体質的に理解できないのだろう。

だから、日本人は自分たちの言語について全く無頓着な言動を平気でしてきた。日本語はフランス語に変えたらいい、と言ったのは小説の神様と言われた志賀直哉である。初代文部大臣にまでなった森有礼も、英語を国語したらいい、などと言い、明治以来、日本語廃棄論があとを絶たなかった。スペイン人がこのことを聞いたら、怒り、あきれて、お前のアイデンティティは一体どうなっているんだ、と我々に詰め寄るに違いない。

ある日、私がバルセロナの公園のベンチで日本の本を読んでいると、見知らぬ御婦人たちが私の隣に腰をかけた。その一人が私の手にしている本を見て、日本の方ね、と声を掛けてきた。なんと美しい文字なんでしょう、と彼女は感嘆の声を挙げた。彼女たちは日本語について、日本について、矢継ぎ早に私を質問攻めにしたあと、私たちの失ったものが日本にはあるのね、と遠いアジアの極東にある日本への憧れを隠そうともしなかった。

彼女たちだけでなく、スペイン人や他のヨーロッパ人が口々に日本を称賛しその憧れを標榜するのは、敗戦後の驚異的な日本の高度経済成長ではなく、洗練されたサムライの時代の日本人のスピリットであった。

  八
私は日本を出てから、イベリア半島(スペイン・ポルトガル)を三度以上、東西ヨーロッパのほとんど、北アメリカ(アメリカ合衆国・カナダ)、南アメリカ(ペルー以南のほとんど)そして中央アメリカのメキシコ、を旅したり生活の場にしたりしてきた。これらの経験は私に、人間の面白さ、と、人生を楽しむコツ、を教えてくれた。

海外に長く身を置くと、いつの間にか日本列島全体を俯瞰するような視線が出来上がってしまう、ことに気付く。だから、日本から友人たちが訪ねて来て、カフェで一杯やるときは、つい、日本は、とか、日本人は、の話になってしまう。

それは、考えてみると、望郷の念や懐かしさからではなく、日本社会の特殊性や日本人の価値観のユニークさといった観点から語っていることが多い。日本はまことに珍しい「世の中」を発明したが、日本人は自分たちの日本社会や自分たち日本人がユニークだと言われても、いったい何のことか、体質的に理解し難いのだ、とつくづく思う。

もちろん、何に対してユニークかというのは、現在人類がかたち作っている世界がいわゆる「西」の価値観、「欧米」の観点から見てそうなのであるが。「欧米」の世界観が世界をリードしている事実から見た日本のユニークさ、ということになる。

  九
さて、実際に私の旅の経験を話してみよう。まずは、ヨーロッパの旅、から。

メキシコ滞在の折り、ヨーロッパ一周ひとり旅を試みた。
各地での旅の残像、エピソードは追い追い紹介していくとして、とりあえず、この欧州一人旅の全体のイメージを思い浮かべてもらうこととする。

まず、スペインのマドリードへ飛び、そこからスイスのジュネーブまで長距離バスで行く予定だった。
ところが、実は、最初に大きな誤算があった。
 
予定では、スイスのジュネーブから東西ヨーロッパを廻り、最後にまたジュネーブに寄ってマドリードに戻るつもりだった。
ところが、スペインのマドリードからスイスのジュネーブへ向かうはずの長距離バスが、なんと、イタリアのジェノバに着いてしまったのである。
マドリードで長距離バスの切符を受け取ったとき、何となく嫌な予感が頭をよぎり、切符売り場のセニョリータに確認してはいたのである。受け取った切符を見ると、
「GENOVA」
と書いてあった。
それで、私は乗車券売り場の女性に
「行くのはジュネーブだよ。ジェノバじゃないよ」
と確認した。が、彼女は自信たっぷりに「間違いない」と答えたものである。後で調べてみると

イタリアの「ジェノバ」のイタリア語のつづりは「GENOVA」

スイスの「ジュネーブ」の英語つづりは「GENEVA」

とは「O」と「E」の一文字しか違わない。一文字の違いで国を違えたのである。因みに、ジュネーブの公用語であるフランス語の「ジュネーブ」は「GENÈVE」で、英語の「ジェノバ」は「GENOA」である。
こうして私のヨーロッパ一周ひとり旅は、計画通りとはいかず、最初の訪問国がスイスからイタリアになってしまったのである。
だが、こうしたハプニングこそ一人旅の醍醐味でもある。最初から実にワクワクした旅立ちとなったわけである。

思いがけずも最初にイタリアに入った私は、心躍る気持ちのまま、フィレンツェ、ヴェネツィアなどの北部の主要都市を巡り、続いて、ユーゴスラビア(当時はまだ分裂しておらず一国であった)を経てギリシャに着く。さらに船で南下し、ギリシャの真珠のような島々を巡り、暮れなずむトルコに上陸する(この瞬間が今回の旅情のクライマックスである)。イスタンブール、カッパドキア、カムッパレ、と不思議の国をたっぷりと味わう。トルコはアジアとヨーロッパの接点を自国に抱えている。

トルコから北上し、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを巡る。当時の東ヨーロッパはソ連の強い影響下にあった。まだベルリンの壁が存在しており、社会主義体制であった。ハンガリーでは温泉に入り旅の疲れを癒す。ここから西側のオーストリアに入り、モーツアルトの天才に酔う。

再び東ヨーロッパに戻り、チェコスロバキアではカフカの迷路を彷徨し、ポーランドではアウシュビッツ強制収容所を訪問し人間の狂気に戦慄する。そこから東ドイツに入り、いわゆるベルリンの壁を体験するわけである。東ベルリンから地下鉄で西ベルリンに抜ける。地元の人々には東西ベルリンの行き来が困難を極めたが、観光目的の旅行者には拍子抜けするほど簡単に移動できたのである。

西ドイツの主要都市を巡った後、再び北上し、長距離バスで北欧に入る。北欧へはバスごと大型船に乗り込むのである。北欧四国を急ぎ足で巡り、今度は南下し、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルクス三国を慌ただしく抜け、そこからはフランス・パリを通り、最後は再びスイスに到着し、パウル・クレーの珠玉の原画と対面し、ジュネーブではこれまで溜まっていたヨーロッパ中の通貨をドルに換える。世界の銀行と呼ばれるスイスだからこそ、訪問した各国の小銭まで換えてくれるのである。当時はまだヨーロッパ統一通貨ユーロは誕生していなかった。今回のヨーロッパ一周の旅の最初と最後に訪問する国をスイスにしようと思ったのは、こうした事情があったからである。

この欧州一周の旅は1989年の夏で、ベルリンの壁が東西ドイツ市民によって破壊された
「ベルリンの壁崩壊」
が起きたのは、この年の11月10日だった。

そして、壁崩壊からわずか一か月後にはアメリカ合衆国とソビエト連邦との間で、
「冷戦の終結」宣言が発表された。
このあとも、世界歴史の変動が怒涛のように繰り広げられたのだった。
1990年10月3日、東西ドイツの統一が実現し、
1991年8月20日にはバルト三国が独立、そして、
1991年12月25日にはソビエト連邦が崩壊し、
世界に新たな歴史のページが開かれたのである。

私はこれらの世界を変える歴史的な出来事を、ヨーロッパとアメリカ大陸で体感していたのだ。
なんという歴史の変動だ、と、目の前で変わる世界を、私はとてつもない世界の希望として実感していた。
ともかく、私の欧州の旅は、世界の歴史的変動の始まるその年の直前に、その蠢動も知らずに偶然に敢行したのだった。
とりわけ、社会主義国としては最後の体制だった東ヨーロッパの国々を廻ることができたのは、いま思えば、なんと幸運な、素晴らしい旅だった。

  十
海外を旅することによって、世界の中に置かれた日本というものを、自然と見るようになる。これは日本の中にいて見るものとは、明らかに違う角度、視点である。言ってみれば、海外に出て初めて地球儀の上の、あの小さな島国、日本列島全体の姿が、他の国々の姿と同等の視点で見ることができるのである。

その変化を、その自分の視点の変化を、驚きをもって受け止めることによって、今度は、その視点が自分自身に向けて、新たな「お前は何者だ」という門を開けることになる。それは日本の中で思春期に誰もが開く門とは、全く別のものである。世界の中の、地球の中の自分である「お前」を問うという、それまで考えもしなかった問いなのだ。

言わば、地球儀を覗き込む巨人が自分自身なら、その地球儀の中に小さな染みのようにしか見えない日本列島の中で蟻のように蠢いている個としての一人の人間もまた自分自身、という分裂した自分の姿を、驚きをもって見ることになる。

これは、長い歴史の中で日本人が持たなくてもいい視点であった。日本人は世界の中の一人の人間という視点を、正確な意味で、かつて持った経験がなかったのかもしれない。世界とはいつも日本の外側に横たわる得体の知れないもので、そこに直接、たった独りの素っ裸の自分がいる風景を見ることがなかった、ということか。その風景を見ることが、アイデンティティとの遭遇なのである。

このアイデンティティ、つまり、今ここに述べたような意味で「お前は何者なのか」という問いにこそ、実は人生を豊かで本当の意味で楽しいものにするヒントが隠されているのだ。

  十一
日本の外から日本社会を見ると、この社会はなかなか人間を幸福に組み込めない仕組みになっている、と思える。それは、狭い限りのある土地の中で、他国との人の行き来の難しい島国という地形と、劇的な民族移動の影響をほとんど受けたことのない歴史的な背景が相俟って、一所懸命、つまり、ひとところに命がけでしがみつく、ことが人生の肝心とされてきたことと無関係ではあるまい。

人の移動のないことが前提となって、与えられた小さな土地で一生涯をどう生きるか、ということが人生なのであれば、近々に暮らす動かない人たちの間で、その近々の「世間」に外れるような生き方はタブーとなり、世間の掟に従えなければ、人間の道に外れることになる。

つまり、日本人は程度の差はあるものの、それぞれの土地やコミュニティの「世間」の空気に従うことを、その「一所」からぬ抜け駆けできないように、見えない楔(くさび)としてきた。コミュニティの一員であるヒトは、少しでも異質な臭いのするものを自分から排除し、全体ができるだけひと色になるように、近々の人々が醸し出す「世間」に自分自身を溶け込ませる努力をするしかない。

その努力を称して、ヒトの道、としてきた。それが日本人の「真面目さ」や「礼儀正しさ」となって培われてきたのである。こうした日本人的性質と言われるものには、個人という存在を抹殺してコミュニティの「世間」に奉仕するという、ユニークな美徳が付いてまわる。長い間、日本というコミュニティの中では、「個」やその前提となる「主体性」は、ヒトが生きていくうえで邪魔になる余計なもの、いや実際のところ、考えもつかないものだったのかもしれない。

近代日本の精神文化の上で家長や長男のような役回りにいた森鷗外や夏目漱石が異国の空気に触れ、西欧の「個」や「主体性」に遭遇し、悪戦苦闘した形跡はあるが、日本社会はとうとう今日まで、それらが何者であるのか、捉えきれずに来たのではないだろうか。それが、昨今流行った“空気を読めよ”という強迫じみた「世間」の掟ではないか、と気づく。コミュニティの空気に従え、という長い歴史の中で培われてきた、このオキテである。
この“「個」不在のオキテ”が“形式主義”と一体化したとき、それは絶望的な姿となる。

さて、こうした視点を日本に対して持つに至った経緯には、三か月余りに渡った「南米の旅」の経験がたいへん重要な意味を持っていた。
この旅について触れてみよう。


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